びゅんびゅん

いきてます

4/29

『火口のふたり』を観た。

 

うん、まあ、なんというか、性に身を任せた大人を第三者視点から観たというか、、。

バスのシーンとかめちゃくちゃツッコミどころだらけだったと思うな。戦争が始まるかもね、富士山が噴火して終わっちゃうかもね、みたいなことを言いながらもひたすらセックスに耽る二人。なんかなんとも言えない気分になった。一晩だけの約束の次の日の朝のシーンなんてほんと最悪だ、と思ってしまったし。端から見たら柄本佑は本当にどうしようもないクズ野郎だけど、ああやって約束だよなんて言いながら許し続けちゃう感じ。そうか、第三者から見たらこういう感じか、、と自分の心当たりをグリグリと痛めつけられている感じがした。恋愛関係における女性の立場ってやっぱりああいう方が多いんだろうな。きっとあの後二人で子供作って男が去っていくんだろうなとしか思えないのに。許してしまう。ま〜〜〜〜そうだよね!!!って感じ。

 

私の兄は人の死にとても敏感だが、そうなると私は人の性愛とかに敏感かもしれない。一見ヤバいやつじゃん。となるけど、そうではなくて。なんというか、相手に愛がないのをわかっているのに性の相手として相手を受け入れる人を見ると、可哀想だと思う上に酷く気分が悪くなる。わかるよ。何してでも彼を手放したくないんだろうし、受け入れていれば側にいてくれるんだろうって事。でもそれって愛じゃないじゃん?って思ってしまう。そんな事他人が言ったところで「余計なお世話」以外の何者でもないことは百も承知なので、しっかり心の中にしまっておくんだけど。ただ、そういう気持ちはめちゃくちゃに湧いてしまう。

友達は少ないけど、今いる友達のことを本当に一人一人大事に思っているし、もしかしたらあまり変わってほしくないみたいな気持ちもあるのかも。クラスであまり目立たないタイプだったあの子が、今や日替わりで男と寝て歩いてる子になってしまってたり、好きな先輩が最低なやつなのに断ち切れず病んでる子を見たり。新しいバイト行ったり、学校卒業したりしたらもっと出会いがやってくるかもしれないのに目の前の特定の人に必死にしがみつく姿を見るのがとても苦しい。無駄に感情移入したり心配したりしてしまうせいで自分のバランスも崩れてしまうなんて私は本当にドアホだなとよく思う。そらあ自分もハッピー!周りの友達も皆ハッピー!なんてフィクションの世界でもなかなかないよ。でもハッピーじゃないどころかノーマルでもなくマイナスみたいな子が多いのは辛い。

 

いつからか、関わる人間皆に優しくありたいと本気で思うようになっていて、私みたいな余裕のない人間がぬかすべきことではないと思うんだけど、でも優しくされなかったら悲しいじゃん。意外とそういうのってわかっちゃったりするし。と思って、バイトの人たちにも本当に皆に平等に優しくあろうと頑張っている。えらい。多少私の精神が犠牲になってもまあいいやというくらいの気持ちで生きてる。案外これは合ってるのかもしれないな、とも思う。バイトの人たちは皆めちゃくちゃ優しいからかもしれないけど、、。期待しないって気持ちも常に持っておかなきゃいけないなって思ってる。多分それは正しい。

 

 

は〜〜〜〜〜映画観に行きたいなあ。映画館で映画が観たい。ノマドランドまだもう一回観たい。先輩と一緒に映画行きたいなあ。

 

4/27

私は自分に自信がない。

面白くなるほどない。

 

理由はとてもはっきりとしている、中学時代のせい。今考えると私はめちゃくちゃ嫌な奴だったし、まあしょうがないよな〜そりゃあ嫌われるよなと思えるんだけど、一番多感な時期に信頼してた人に陰口を言われた経験は未だに私の人格に大きく影響を及ぼしている。と思う。

部活の先輩や同じ班の女の子、幼馴染グループ(1人を除いて今はとても仲が良い)、誰との付き合いも本当にうまくいかなかったな〜。

中学3年生になって、毎日個性のぶつかり合いみたいな大好きになれるクラスに出会えたおかげで今の私はなんとか人を好きになれているかもしれない。

 

母の友達が言っていたように、母も兄も他人がいなくたって生きていける強さというか、言っちゃえば他人への無関心さみたいなものを持っている。でも私はあんまりそうでもない、そうでありたいと思ってはいたんだけど。私はめちゃくちゃ不器用だけど人との繋がりをすごく必要としている。「それは全然変じゃなくて、むしろ家族全員がそうだったら私は少し心配になる。普通のことだよ」とその人が話していたと聞いた時なんだか泣きたくなった。割と自分がずっと悩んでいた部分というか、弱さだと思っていた部分だったから。

最近その言葉が何回も頭を回って、なんとか文章に書き留めておかねばと考えてた。なかなか纏まらず時間がかかっているけど、、。

 

自分への自信ってなんだかんだ他人から貰うものだと思ってる。人間が自分の考えに確信を持つ為に必要なものは、知識と肯定だから。どれだけこうだ!と強く思ってても、土台になる知識と支柱になる肯定がなきゃそれは加工される前のねんどの塊に過ぎなくて、完成してない。

そういう意味で、シンエヴァでアスカが自分達の事を話していたように、人間には不可思議な「感情」というものがある。寂しい、好き、嫌い、どれも一人で完結されるものではあるけど対象は他人だ。支え合って人になる、みたいな話を昔はふーん(笑)くらいにしか思っていなかったが、実は一番単純で一番的を得た人間の説明のひとつなのかも、、。

 

 最近めちゃくちゃ優しくしてくれて、気も遣ってくれる上に時間まで使ってもらってる人がいる。その人のそれは好意とかよりも本当にその人の人柄から来ている物なのだと思っている。その人は自分の性格を好き嫌いが分かれると言うが、私は全然そう思わない。確かに人間図星をつかれるとひどく恥ずかしくなって、どうしたらいいかわからず相手に矛先を向けたりするけれど、それで相手を嫌う人なんて所詮その人が大切にする必要のない人だ。好き嫌いが分かれるというよりも、ついてこれるやつは俺についてこい!みたいな気持ちで生きて欲しい。ほんとに。

でも、そうやってはっきりと自分の弱い部分を見せられるところをめちゃくちゃかっこいいなあと思う。失敗をバネに大学4年間物凄く頑張った所も、本当にすごい。私だったらもっと捻くれてしまう。当然今その人に好意を抱いてるんだけど、私みたいなやつと付き合っていて欲しくないみたいな気持ちもある。まあ向こうがどういうつもりで電話したり、映画やユニバに誘ってくれるのかイマイチ確信が持てていないんだけど、、。多分本当に友達として扱われているんだろうなとは思ってる。彼女が出来たら二人では会えない(当然)ってはっきり言われてるしなんとなく終わりが見えてるのも寂しいなあ〜〜…。

 

自信のなさ故に相手にめちゃくちゃ気を遣ってもらってるのは目に見えてるので、さすがにもうちょっとなんとかならないとなと思ってる。唯一仲良くしている女の子がこんなネガティブ女だったら絶対嫌だよな、私だったら絶対嫌だ。がんばろ。